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2010.02.21 (Sun)

名城!「熊本城」~「本丸御殿」後編~



彼と結婚のご挨拶で、
麻布ひめの地元熊本へ 


熊本が誇る、
「熊本城」にやってきた、麻布ひめたち 


「本丸御殿」の「大御台所」を抜けて、
さらに進むとそこには。。 


大広間がっ!! 
麻布ひめ_本丸御殿(10)

手前から「鶴之間」「梅之間」「櫻之間」「桐之間」 
これらは、接見に利用されていたとのこと 
そして藩主の部屋であったとされる「若松之間」へと続きます。 
それぞれの部屋は襖で仕切られ、左手には縁側があります。 

奥行きがすごいですね! 


「大広間」左手の、縁側を進みます 
麻布ひめ_本丸御殿(11)

美しい! 
麻布ひめ_本丸御殿(12)


そしてここからが、本丸御殿の目玉 
まず現れたのは。。 
 

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【More】

「若松之間」 
麻布ひめ_本丸御殿(13)
(写真手前の部屋) 

写真がうまく撮れなかったのですが、
名前の由来となった若い松が描かれた障壁画で、
部屋が囲まれています 
麻布ひめ_本丸御殿(14)


そしてその奥にあるのが。。 

「昭君之間」 
麻布ひめ_本丸御殿(15)
本丸御殿の中でも一番格式の高い部屋 
藩主の居間で、
対面所(接客の場)としても使用されたそうです。 

壁や襖などには、
中国前漢時代の美女、王昭君の物語が描かれています。 


実はこちら、将軍の間」の隠語とも言われ、
徳川家が豊臣家を滅ぼそうとした際には、
豊臣秀吉に仕えた加藤清正が、
秀吉の子、秀頼を熊本城に迎え入れ、
徳川に背く覚悟があったそう。 
そのための部屋が「昭君之間」とも言われています。 

この「昭君之間」には抜け穴伝説もあるそうです。 
何だか謎だらけのお部屋ですね  


室内は金箔が張りめぐらされ、
豪華絢爛 


天井も素晴らしい! 
麻布ひめ_本丸御殿(16)
豪華な飾り金具が取り付けられた、漆塗りの格子 
そのの一つ一つの間に、美しい絵が描かれています 
天井画は全部で60枚あるとのこと 

まぶしい限りです! 


さらに進むと、
復元された杉戸絵が展示されていました。 
麻布ひめ_本丸御殿(17)


こちらは細川家御用絵師「杉谷行直」筆の杉戸絵 
麻布ひめ_本丸御殿(18)


本丸御殿、素晴らしかったです 

全て写真には収められなかったけれど、
当時の伝統技術と現代の技術を駆使し、
細部まで手を抜かず、こだわりをもって
作られていたことに感動しました 

今はまだ新しくてピカピカだけど、
これから年月を重ねるにつれて、
どんどん味わいが出てくるんだろうなあ 
時間をおいて、また出かけてみたいと思います。 


さあ、最後はやっぱり登ってみましょう! 


次回へつづく。。 


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